先日、大垣行きの話を少しばかりした。
時間があるので、古い写真を整理していたら、それっぽいのが出てきた。
今でこそ、字幕も減りLED表示になっているが、昔はこん感じで、行先表示板を使用していた。
単純に折り返す列車は、このままでも良いのだが、行先等が変更なる列車は、毎回駅員が差し替えることになる。
ホーム側ならまだしも、ホームと反対側はさぞ大変だったことだろう。
ドアを開けたり、窓を開けたりして交換していたような記憶がある。
モノクロといえど1コマ1コマが無駄にできない時代、こんなものよく撮影していたものだ。
モノクロは、カラーフィルムが買えない時や遠出をした時に記録をしたいときに使用していたと思われ、これも旅の思い出の一コマとして残すために撮影したものと思われる。
つまらぬ写真だが、こんなものも今思うと良い思い出だ。
子供の頃は、東京駅、上野駅へ行く事すら遠出、大垣なんて大冒険に近かかった。
特に大垣行きのような、夜行かつ長距離、長時間に列車に揺られることで、その思いは増大していったに違いない。
こんな気持ちがシャッターを押させたのかもしれない。
※一番上と一番下の写真は、行先表示板(サボ)。「東京〜大垣」が懐かしく、このような表示の方が距離感が伝わる。
※真ん中の写真は、列車が所属している電車区の名前。電車の脇や、機関車の札で示されている。「名カキ」は名古屋鉄道管理局の大垣の略。これを見るとどこの車両、どこへ行ったか、なんとなくわかるので、遠出をした証として記録したのだと思う。
その年の気象状況にもよるのだと思うが、今年の(も)富士山の積雪は少ないように感じる。
子供の頃描いていた富士山といえば、ざっくり台形を描いて、頂に雪を纏ったものだった。
この数日、気温が低かったこともあって、綺麗に富士山を見ることができたが、雪はほぼなし。
冬の富士山としては、ちょっと寂しくもあったりと。
昨年の話になるが、夜から朝にかけて雨の予報、しかも午後からは晴れの予報の日があった。
夜に雨が降るということは、きっと頂には雪が降るはずであり、富士山らしい富士山になるのでは・・・と思い出撃。
現地近くに到着するも雨がパラパラと降っており、本当に晴れるのかは疑わしかったが、そんな不安も時が経つにつれなくなった。
時折の雲の切れ間から富士山が顔を出したときに、白くなっているのが見えた。
笠雲のような雲がいつまでも残っていたが、時が経つにつれ徐々になくなり、やっと、全容を見せてくれた。
時はすでに夕暮れ。
白くなった頂に赤い陽が当たり、顔を赤らめていく富士山。
富士山が眠りにつくことを見届けて、帰路についた。
緊急事態宣言中で、少しばかり遠出を自粛している。
緊急事態宣言だから・・・というよりは、寒いから・・・が正直なところだ。
コロナのみならず、風邪など余計な病気にかからぬよう注意している。
昨年秋には、台風被害から復旧した登山電車に久々に乗った。
小田原から湯本まで赤い小田急の車両のみで運行されているが、以前は山登り電車が小田原まで来ていた。
箱根登山電車に小田急が乗り入れていたため、ロマンスカー以外にも、小田急線の一般車両が湯本まで走っていた。
今思えば、小田急も長編成はあまりなかったように思える。
相模大野で、小田原線と江ノ島線で分割したりと、今よりはある意味面白かった。
そんな、相模大野の駅も、そして駅周辺もすっかり様変わりしている。
話を元に戻すと、小田原で乗車後、早々に運転席後ろに陣取り、小田原からの線路を眺めていたら、三線軌条の痕跡が未だに枕木に残っていたことにちょっと嬉しく思ったりもした。
枕木は、線路こそついていないものの左側にもう一本線路がつけられるようになっており、ちょっとアンバランス。
こんな光景を楽しみながら電車に揺られていた。
湯本からは80‰の急な上りに入るが、登山電車はひるむことなく、急な上りを登っていった。
※写真:小田原での一コマ。登山電車の後ろには小田原城。
先の夏に続き「秋」を更新した。
夏同様、あまり遠出をしておらず、出かける回数も少ない。
よって、限られた画像だが、似た画像を多数掲載することで、なんとなく旅を楽しんだ気分になっている自分。
ただでさえ、秋は枚数が多く、ご覧いただく側に負担をかけてしまい申し訳ないのだが、お許しいただきたい。
年末年始は遠出を控えられる方も多いと思われ、駄作集を見ながらなんとなく外出した気分になっていただければと思っている。
川崎大師へ行ってきた。
新型コロナ感染者数に歯止めがかからない中、弘法大師さんにお願いと言うわけでもないのだが・・・宗教感の無い自分だが、弘法大師さんには四国を二周ご一緒していただいたので、なんとなく親しみがある。
そんなわけで、久々の再会となる。
さて、
淡い記憶によれば、子供の頃、親に連れられて川崎大師に行ったような気がする。
飴を切る包丁とまな板のリズミカルな音がなんとなく耳に残っている。
大人になってどんなものかと訪れてみたのだが、思ったほど広く、大きくは感じなかった。
こんな感じだったかな〜と大人の視点で境内をぶらぶらと。
以前、栃木に住んでいた時に、佐野厄除け大師がどんなところかと訪れたことがあるが、佐野と比べれば川崎の方がと、思ってはいたのだが。
要は、小学校の運動場と一緒で、子供の頃は広く、大きく見えていたものが、大人になれば・・・とのことと思う。
肝心な飴を切る心地よい音は、ほとんど聞こえず。
テンポ良い音が流れていると思いきやビデオだったりするのだ。
最近、コロナ感染者数は増加し、観光客が減っていることを思えば、仕方なしか。
自分の記憶と一番違っていたのは、切っている飴は、金太郎飴と思っていたのだが。
確かに、食べていたのは白い飴だったような記憶があるのだが、・・・いろいろな情報が混在してしまっているようだ。
考えてみれば、金太郎は川崎と縁がないようにも思えた。
こんな電球もそのうちLEDに代わるのだろうな・・・と思いつつシャッターを切った。
今年ももう少しで終わり。
コロナに振り回された1年だった。
近場をぶらぶらしたに過ぎないが、数枚ほど駄作をアップした。
今頃夏の写真をアップするとは、だいぶ季節外れであり、かつ今まで怠けていたことがバレてしまうのだが・・・。
時間ができたらできたで、グタグタと時間を使ってしまうのが人というものなのだろう。
以下URL、お時間がある時に、ご覧いただければ幸いです。
江ノ島までぶらっと出かけてみたが、富士山が見えず。
仕方なくこんなつまらぬ写真を撮影して帰宅した。
雲がなければ、冬っぽい、クリアな空になっただろうに・・・。
昨日は、逗子の披露山公園からの富士の眺めを確認するため出かけてみた。
生憎富士山は見えなかったが、大崎公園まで足を伸ばし、雰囲気はわかったような気がした。
夕方の富士山は、公園の駐車場の時間を考えると、この公園からの撮影は厳しそうなので、苦労せずに富士山を楽しむのなら午前中が良いのかもしれない。
公園の周辺は、噂通りの住宅街であり、こんな生活環境もあるものだと、自分には無縁の世界が広がっていた。
小坪と聞くと怖いトンネルばかりが頭をよぎってしまうが、このような住宅街の片隅にある公園だけに、なんとなく安心感もあり、なかなか良い場所だった。
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